酒米の王様 山田錦

山田錦の歴史

明治初期に多可郡多可町中区東安田の山田勢三郎(1847~1919)が優良株を選抜し、近隣の農家に配布したものが酒造家に高く評価され、自身の名を取って、「山田穂」とされたという説が有力と言われています。この「山田穂(母親品種)」と「短稈渡船(父親品種)」の交配により、昭和11年(1936年)に生まれた品種が山田錦です。山田錦誕生から80年が経った今も酒造家、愛飲家に最高の酒米として評価を頂いております。

山田錦の特徴

酒米は大粒であり、心白(米の中心にある白色の部分)があることが食料米との大きな違いです。山田錦の心白発現率は80%弱あるとされ、千粒重は約27~29 gと他の酒米と比べ大きいことが特徴です。また雑味の元となるタンパク質が少ないため、酒造りに適しているとされています。

山田錦生産へのこだわり

 先祖代々我が家では、農業・林業で生計を立てていました。昭和11年に「山田錦」がこの地域で誕生し、四代目「茂雄」より酪農をしながら山田錦の栽培が始まりました。昭和初期は全てが手作業で大変な重労働でしたが、五代目「利知」の昭和30年代は機械化が進み、平成になり六代目「茂也」になると機械化も大型化し、耕作から始まる播種、田植え、刈取り乾燥、籾摺り、選別袋詰め等の一連の作業がほぼ機械化され、10ヘクタールを超える農地の管理ができるようになりました。

 石川県の酒造「福光屋」との契約栽培が始まったのが、六代目「茂也」が生まれた昭和35年頃からです。圃場が粘土質で、昼夜の寒暖差の大きいこの地域は、酒造の求める良質な酒米「山田錦」の栽培に適していることから、地域の特産物にしようと農家が集い「中町山田錦部会」を立ち上げ五代目「利知」が、初代中町山田錦部会会長に就任しました。中町山田錦部会では、毎年「良質米コンクール」を開催しており、大切な地域の特産物「山田錦」の品質を継承していく取組みをしています。昭和44年酒造「福光屋」より化学肥料に頼らず有機質肥料を中心とした栽培を要望され、集落を挙げて栽培技術の向上に努めた。平成16年、化学肥料と農薬を慣行栽培より5割削減する改正特別栽培農産物表示ガイドラインの施行に伴い、もともと化学肥料を使用していなかった六代目「茂也」はいち早く特別栽培に取組み、エコファーマーに認定された。

 平成26年より、緑肥(ヘアリーベッチ)にも取り組み、窒素成分の確保とアレロパシー効果による除草技術の向上にも取り組んでいます。酒米「山田錦」における緑肥の取組みは全国初でした。

 安全・安心な農産物生産のためには、少しでも除草剤の使用を減らす必要があります。平成28年水田除草機を導入し、大幅に除草作業が軽減されるようになり、昨年まで使用していた除草剤を使わずに栽培することが出来ました。平成30年より、JAS有機栽培にも取り組んでおります。脱農薬に挑戦しつつも、品質にこだわり先人が守り育ててくれた「山田錦」を平成31年より七代目「啓志郎」が未来につないで行きます。